ちょっと早いが盆踊りに行きたい!
いきたーい。
まぁ東京きてから行った事ないけど。
踊りたくはないんです。べつに。
雰囲気好きなの。
小学校の2年生までおれはど田舎暮らしでした。
ど田舎って程のど田舎じゃないんだけど。
トトロみたいのじゃありません。
コンビニが、山崎デイリーストアが一軒あったし、スーパーも一軒あったし。
本屋も一軒あったし、駄菓子屋は4、5軒ありました。
小学校もあって、学年2クラスありました。1組2組じゃなくて松組、竹組でした。
まわりは山にかこまれて、そこそこ大きな川が一本流れてます。
山には、赤い、弁慶が待ち構えていそうな橋を渡って行きます。
でもその山は姨捨山で、鬼婆が住んでるから、絶対行っちゃいけないってばあちゃんが言ってました。
川は家からすぐのところを流れています。
遊んでるところで、落ちて流されて死んだ子供もいるって言って、やっぱり、川には降りるなっていわれてました。
沼もあります。
あそこは底なし沼だから、落ちたらもうあがってこれないからね、子供だけで絶対行ったら駄目だよって言われてました。
おれは学校が嫌いでした。
給食が嫌いでした。牛乳が大嫌いなのと、量が多くて食べられなかったんです。いつまでも、怒られながら食べてるか、ゲロはいて泣いていました。
給食以外は好きだったと思います。
学校は新しくてきれいで立派なものでした。
習字教室にも通っていました。友達が通い始めたからです。終わるとアメ玉をくれました。
その町は1区から8区と区分けされています。おれは1区でした。なんだかんだとイベントの多い区でした。
今考えると、大人達が、呑む口実をこじつけてたんじゃないかと思うんですが、当時6、7歳のおれとしても、そこらの子供にしても、本当に楽しい時間だったと思います。
大人が酔っぱらって楽しそうにしている光景は、子供ながらに、いいなぁこの感じ、とうらやましく感じたものです。
そういう中でおれが一番好きだったのは、盆踊りからのカラオケ大会です。
盆踊りが終わった後、
区内の、広い、と言ったら広い、狭いといったらまぁ狭い空き地に大きなトラックを停めて、荷台をステージにして、下にはブルーシートを敷いて、焼き鳥の焼き台と、酒、ジュースを入れる氷入りのビニールプール、あとは各自持ちよりでカラオケ宴会が始まります。
酔っぱらった近所のおっさん、おばさん、にいちゃん、ねえちゃんが唄うんです。
もちろん、もう演歌、歌謡曲です。30年近く前のカラオケの機械なんてそんなものです。たぶんテープです。
でもそれがいいんです。
その日ばかりは親もうるさい事言いません。おれは興奮して全然眠くありません。
でも大人は呑んで騒いでおねむです。
11時ぐらいには、その場からだれもいなくなります。
もちろんビニールプールの中のビールや缶チューハイ、ジュース、焼き置きの焼き鳥、持ち寄りの唐揚げ、巻寿司、枝豆、もろもろが置きっぱなしです。
もう誰もいません。
おれ天国です。
当時ほんのガキですから、もちろん酒なんて呑みませんが、おいしい大人の食べ物が食い放題になるんです。ジュースも飲み放題です。
そして祭りの後の物悲しい静けさと、大人達が呑んだ後の酒臭さ、というか、宴会の匂い、それと、夏の夜の匂い、これ以上ないくらいのうるささからの静寂、楽しかった今日が終わる淋しさ。
そんなものに包まれて、子供ながらに酔うわけです。浸るわけです。
語りたくなって、一緒にいた友達の、まもるくんと、盆踊りの櫓のうえに登り、
どんどんどんがらかっかどどんがどんって数時間前まで唄っていた太鼓の隣で、将来について語ります。
多分もう12時まわってたと思います。
語り尽くしたつもりになって、こんどは町中を歩きまわりました。
真っ暗森くらいくらいだった辺りが、少し明るくなってきました。
もう朝です。
そろそろもう帰ろうかという雰囲気の中、車がこちらへ向かってきました。
その白い薄汚れた軽トラはボクらの前で止まり、おっさんが出てきました。
そのおっさんは、まもるくんのお父上でした。
まずは何も言わず、まもるくんの頭が吹っ飛ぶ勢いで、ぱああぁん!
ビンタを一発。
おれは震えあがったね。
こんな時間まで!ぱあぁん!何を!んぱぁぁん!してんだ!ぱぁん!おまえはー!
ぱあぁぁん!
みたいな。
まじかーよ。おれまでたたかれる感じじゃねこれ?
って思ってたら、
大丈夫か?きょうすけくん。怒られるんじゃないのか?一緒に行ってあやまってあげようか?
なんて感じだったので、ふるえながら、
ア、ダイジョブデスっつって帰って。
寝て。
次の日、昨日こんな事あって、って親に話したら、
田舎もんはそんなもんだ。
て言ってた。