ここに何回も書いているが、今夜、すべてのバーで
という中島らもの本。
もう5回ぐらい読んでるんだが、毎回読んでていつも待ち遠しいセリフがあるんです。
主人公は35歳でアル中です。入院しています。その主人公の主治医の赤河がいうセリフです。
主人公はアル中で入院してるのに、あるときふと魔がさして外にでて、そば屋に入り、
のむつもりじゃなくもビールをのんでしまう。のんでしまったら止まるわけもなく、酒をのみ、のんだらバーボンがのみたい、じゃあバーへ。
かなりよっぱらって病院に戻ります。
真っ暗な待合室に赤河が怒るでもなく待っていました。
主人公と仲のいい同じ部屋に入院している、奇病を患ったまだ17歳の綾瀬という青年がいるんですが、
その綾瀬君が死んだ。
あんたがのんだくれていた間に容体が急変して死んだ。
あんたがのんだくれている間にすべて事情が変わったんだよ。
霊安室の中、よこたわった綾瀬君のとなりで主人公と、助けてあげられなかったせいで自暴自棄気味の赤河の二人はビーカーをグラスに薬用アルコールの水割りをのんでいます。
酔っぱらった赤河が愚痴を垂れ流す。
なおる奴もいりゃ、死んでく奴もいたよ。なんとか助けてやりたいと思った。ことに子供の患者はな。そうだろ? 子供なんてのは、人生の中で一番つまらないことをやらされてるんだからな。私だって十七までにおもしろいことなんか何ひとつなかった。
面白いのは大人になってからだ。ほんとに怒るのも、ほんとに笑うのも、大人にしかできないことだ。なぜなら、大人にならないと、ものごとは見えないからだ。小学生には、壁の棚の上に何がのっかってるかなんて見えないじゃないか。そうだろ?
一センチのびていくごとにものが見えだして、風景のほんとの意味がわかってくるんだ。そうだろ?
なのに、なんで子供のうちに死ななくちゃならんのだ。つまらない勉強ばっかりさせられて、嘘っぱちの行儀や礼儀を教えられて。
大人にならずに死ぬなんて、つまらんじゃないか。
せめて恋人を抱いて、もうこのまま死んでもかまわないっていうような夜があって。
天の一番高い所からこの世をみおろすような一夜があって。
死ぬならそれからでいいじゃないか。
そうだろ。ちがうかい?
私はな、なんとか助けてやりたいと思ったよ。子供をね。でも、そのうち、それも思い上がりだってことに気がついた。
略
問題は、患者が、前へ進むことだ。だから、助けてやりたい、なんてことはこんりんざい思わないようにした。助かろうという意志をもって、人間が前へ進んでくれればそれでいいんだ。恋も知らずに死んだって別にかまわない。知らないものは“無い”のと同じだ。生き残ったものがそれを持ち出して涙を流すなんてのは大きなお世話だ。
この子はこの子なりに、精一杯前へ進んでたどり着けるとこまでたどり着いたんだ。
他人のゴールを基準にしたって仕方がない。
仕方ないね。